かつどうきろく帳

てさぐりなブログ。

悪者になる

私が悪者になればいいんだ!

って意気込んで、立ち回ったことがあった。結果、私は本当に悪いやつになった。

 

そのときは、仲間割れするのが嫌で、あの人とあの人が喧嘩して、演奏会の企画が空中分解してしまうのが恐ろしかった。だから腹を括った。ここで啖呵切るのは私しかいないなって思った。仲良しもいないし、やりたい曲もやらせてくれないし、なんなら辞めてもいいかってずっと思ってたし、失うものがないな、って。

私はそういうつもりだった。窮鼠猫を噛む。追い詰められたネズミだったのだ。それで、自分が望んだとおり悪者になったんだけど、その場から離れたのは私ではなかった。

 

こないだ街でその人たちに出会って、お久しぶりです、って挨拶したのだけど、全然反応なくて、私は透明人間のようだった。1度目は気の所為だと思ったけど、2度目もそうだったから間違いない。とてもショックだった。まあ、仕方ないか。私はそれだけのことを言ったのかも。

 

でも、この出来事があって、ずっと私は自分が悪者になったと思い込んでたけど、私があの人たちを悪者にしたんじゃないか?って気づいた。

そうか。つまり。

私は本当に悪いやつだったのだ。街で会っても人とも思われないほどに、悪いやつ。

 

悪者になる、ということは、誰かを悪者にしてしまうことでもある。

私は腹を括って悪者になったけど、その反動で悪者になってしまった彼らが、私を人とも思わないのは当然だ。

 

考えが浅い自分にガッカリするけど、そうだ、私はこの私でしか生きていけない。情けない。でも、やり直しができないこともある。

 

 

何を記録するにも、まずはこのことを記録しておきたい。

久しぶりに

詩も日記も記さずに、何年も私は何をしてたんだろう?はて。

 

笛ふいてました。

気づいたら数年たってるほど、そんなに好きなのか?と問われたら、きっと「それほどでもないけど」と答えてしまうだろうと思います。

でも、こんなに色んなことを忘れてしまうほどにやっているのだから、多分好きなのだとも思います。

 

しばらく自分のブログを覗きもしなかったので、パソコンからの編集ができなくなってしまったみたい。

 

その忘却の彼方に追いやっていたこのブログにまた記事を書こうかなと思ったのは、ここ数年の私の笛活動について少し、残しておきたくなったからです。周りの人に言いふらしたいほど、大声で自慢したいほど色んなことをしました。でも、私自身もそうだけれど、大抵は他人のそんな話は上の空できいちゃうよね。だから、偶然通りすがる誰かに、言葉の端を聞いてもらえたら、本当にありがたいなぁと思います。

仕事以外で文章も書かなくなったから、うまいこと書けないかもしれないけれど。

 

演奏会をつくる。

 10年以上詩のブログをやっていて、冊子もつくったりしたくらい詩作に妙に執着していたというのに、それが遥か昔のことのように思えるくらい、最近は全く手をかけていない。詩の面白さを、とうの昔に忘れてしまったような心地。そんな私は最近何をしてたのか。

 

 笛です。

 

 もう生活が半分腐ってしまうくらいに笛をやっている現状。そんなに好きなのか私。いや、ときどき嫌気がさすんだ正直言うと。でもなぜか続けている。続けていると、時々運命みたいな音楽や人との出会いがある。だから続けてしまう。

 

 今年に入って、演奏会を自分で作って開催した。とても骨の折れる作業だった。手作り演奏会のマニュアルを書いて配布したいくらい、色んなことを身にしみて学んだと思う。

 演奏自体ではなく、演奏会にまつわる人間関係がとても厄介だった。音楽をやっている人というのは、良くも悪くも目立ちたがり屋が多い。そういう人々が成す編み目をうまいことくぐりぬけなければ、当日の成功はない。

 こじれた人間関係の結び目をなんとか解くことばかりに時間が割かれて、心身追いつめられた。もう演奏会の運営はやりたくないし、そんな機会もおとずれるまい。

 

 そう思っていたら、なんとまたやることになってしまった。断ろうと思っていたのに、結局なんやかやとやっていたら、引き受けることになってしまった。

 いまはその準備を、前回のような思いはしたくない、の一心で進めている。誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。音楽は、幸福な時間に包まれているものであってほしいと思いながら、事務作業をしている。

 

 お給料なんて出ないし、出費もかさむのに、私は何をしてるんだろう。今やっていることが、何か素敵なことに繋がっているといいのになぁ・・・。

あたらしい仕事!

 4月から、急に仕事内容が変わることになった。

 新しい分野の仕事をすることになって、急だったこともあり驚きはしたけれど、4月以降がとても楽しみになっている。ずっとやってきた慣れた仕事をのんびりやろうと思っていて、気持ちに余裕のある1年を楽しみにしていた。それなのに、心境は変わるものだなぁと思う。カオス状態の自分も楽しそうだ。給料もあがったらいいなー、なんて呑気に思っている。

 私の仕事が変わることについて、ずっと一緒にやってきた同僚はものすごいショックを受けていた。「へーそうなんだ。まあがんばれ」くらいの反応かと思いきや、来月から辛すぎると言われ、同僚にとって私はどんな立ち位置だったのか分からなくなってしまった。

 てっきり厄介なベテラン(?)的な立ち位置だと思っていたので、私が離れたら少しは楽になるかな、と考えていた。仕事が変わっても部署も席も変わらないから、それほどショックを受けないはず・・・しかし、そう思っていたのは自分だけだったみたいだ。「そんなんだったら辞める!」って言いそうな勢いだったので、これは申し訳ないことになったなーと。自分が望んだ話ではないけれど、一瞬わくわくしていただけに、罪悪感がある。

 私自身は、数年前一気に先輩たちが抜けて、新人さん3人と切り抜けた時が一番楽しかった。上の人たちの態度に萎縮してしまう性格なので、いなくなってものすごい開放感があった。その分ものすごい大変だったけど、失敗に皆で悩んだり、ちょっとした成功で皆で喜んだり、意味分かんない仕事に皆で文句言ってみたり、どれもこれもすごく楽しかった。仕事が嫌で会社に行きたくない〜って思った日は、この時期から今まで1日もない。

 だから、同僚も同じような開放感を感じるものかと思っていたけれど、今回の反応を見て、人それぞれなんだなぁと実感した。今一緒に仕事をしている仲間はみんな大好きだから、4月以降も許される範囲で同僚たちの気持ちに沿って動きたいと思ってはいる。

 

 それにしても、なぜこうも急だったのかが謎。もう少し早い段階だったら、同僚も少しは覚悟できてたかもしれないのに。配置換えはそういうものだ、とはよく聞くけれど、すでにそういうソワソワした時期が過ぎてからの通告は、意外すぎて誰にとってもショックだと思う。私自身についてはポジティブなショックだけど、人によってはネガティブなショックにもなるし、上の人たちにはそういうことも考えてもらいたいなーとは思う。

性格のコントロール

 笛の楽団に参加し続けて、もう3年くらい経とうとしている。1年目は様子を伺いつつ、技術不足に不安を感じながら参加。2年目は振り回されて若干の憤りを感じつつの参加。3年目は・・・すごい勢いで好き勝手させてもらってる気がする。これやりたい!っていう曲を、押しまくってやってもらったりして。さらに、他にもやりたい曲が出てくると、こないだまで押してた曲を退けて、推薦してみたりして。みんな迷惑してるだろうなとは思うけど、やったらやったで面白いじゃんって思ってくれてたら嬉しい。

 

 そんなわけで、すっかり馴染みのメンバーになってしまった。馴染みメンバーの中に一人気になる人がいる。還暦すぎたマダムだ。押しが強い性格で、彼女が苦手だと思ってる人も結構いるみたいだ。実際、私自身も彼女の言い方とか押しの強さがちょっと苦手だ。でも、そんなマダムのことが私は気になる。

 

 なぜ気になるのか、この頃よく考えていた。そして考えながら、マダムは昔の私にすごく似ていることを発見したのだ。自分が無意識に振りまいていた我の強さが、苦手だな〜と感じるマダムに共通してるんだ、と発見した。

 私は我の強かった頃の自分をすごく恥じていて、決して繰り返すまいと毎日過ごしている。自分で言うのもなんだけど、その思いは強い。誰かに何かを押し付けたり、自分のやり方を周りの状況を考えずに押し通したり、とまぁ、今のマダムとほぼ同じようなことをしていた。私に傷つけられた人は沢山いたはずだ。これは憶測ではなくて、確信だ。生きてる限り、反省し続けると思う。

 

 昔の私、と言い切ってしまうけれど、実際はそういうものは切り捨てられないものだ。昔の私は真の私の性格でもあるのだ。押しが強くて、我がまま。今はそれを、コントロールしているつもりだ。きっと、年老いたときには、その性格が爆発してひどい年寄りになるだろうとも思う。

 コントロールしているつもりでも、やっぱり底の方から滲み出るものかもしれない。我がままは、楽団で次から次へと曲を持ち込んでやらせようとしているところでも現れてる。やばいなぁ、年取って自制効かなくなってきたのかなぁとも思うけれど、欲望に勝てない。人によっては、熱意、みたいに受け取ってくれることもあるけれど、そんな良い言葉で包まれるようなものでもない。罪悪感がある。自制できないことに対して。

 

 あのマダムのことを考え始めた当初、反面教師だと思っていた。でも、よく考えたら自分自身の中に、彼女とほぼ同じ性質があって、反面教師への道を突き進んでいる自分を発見してしまった、というわけ。きっと楽団だけではなく、仕事でもそうなんだろうと思う。飄々とした人物のフリをしているけれど、もうだだ漏れだろう。

 抑えなきゃとは思うけれど、そんな努力をしたところで、私は決して良い人間にはなれないのだろうとも思う。どうせならマダムを超える我の強い人間として、好き放題やって生きればいいっていう方法もあるだろうけど、でもなるべくなら沢山の人と楽しく演奏したいし、仲良く生きていきたい。

 というわけで、葛藤中。

ストーブを検討する。

 昨年の11月頃から、新しい住まいを探してみるかな〜という気持ちで動いている。特に必要に迫られているわけではないので、のんびり探すつもりでいる。

 年末から今月半ばくらいにかけて、新築マンションのモデルルームを少し覗いたおかげで怒濤のスケジュールを組まれてしまった。買うのか買わないのか、決断を「明日まで!」とか「来週まで!」と迫られ、買う寸前まで流されてしまった。

 夫は乗り気の暴走状態になってしまい、週末は戦争、平日は冷戦状態。結局買わないことにしたけれど、軽い気持ちで動いちゃだめだな、としみじみ思う。売る方も真剣だから・・・。

 

 決断を迫られる状況から解放され、再びのんびりと、住まい探しをしている。自分たちのペースは、かなりゆっくりだ。相手ペースで考えると血迷ってしまうが、自分たちのペースで考えると「こういう暮らしがしたい」っていうのが徐々に分かってくる気がする。

 そんな中、夫が薪ストーブに興味を持ち出した。毎日ストーブの動画を見て、いいなぁいいなぁ、と一人つぶやいている。ストーブ前で昼寝してぽかぽか暖まりたいらしい。

 しかし面倒くさがり、かつ身体が弱い。私も体力はあるけれど横着者だ。薪ストーブは現実的ではないのだが。まあ、そういう暮らしがしたい気持ちは分かる。子どもの頃、父によくスキーに連れられて行った。スキー小屋の薪ストーブでお湯を沸かして、カップヌードルを食べるのが楽しみで楽しみで。スキー自体は全然上達しなかったけど。火の匂いというか、煙の匂いというか、好きだったなぁ。

 何かいいアイデアはないかな。

 週末はストーブのあるカフェを訪ねてみる予定。

ひとりアンサンブル!

 最近、多重録音アプリを使ってひとりでアンサンブルをやってしまうという楽しみを見つけてしまった。誰かとともにやる楽しみよりも、今は多重録音の楽しみの方が勝ってしまっていて、月数回の練習会に行くのが超絶億劫になっている。

 

 一人って自由で気ままでいい。好きな曲を演奏できて、しかも全部のパートを演奏できるって本当に楽しい。音程も自分だけだからぴったり合うし、音程合わせで終始する苦しみがなくて、気楽だ。まぁ、その分成長はないかもしれないけれど。

 

 演奏できる場や仲間を求めて、探し当てて、これまでそれを楽しんでいた私には、大げさではあるけど、この自由気ままさは衝撃に思えた。自分がやってみたい曲って、大抵は難しそうだったり、長過ぎたり、単調すぎたり、場に合わなかったりで、却下されてしまう。私は私自身としか楽しめないのかも・・・と考えていたけれど、私自身と思いっきり楽しめることが分かってしまった!録音で、私をもう一人増やすことができるとは・・・そうか、そういう風に文明の利器を活用すべきだ(ってもう録音なんて昔からあるのに今さら・・・!)!

 

 そんなわけで、多重録音に熱中するあまり、他の練習をおろそかにしているこの頃。練習にいっても若干生気が抜けているのか、具合悪いのか心配される始末。そんな状態なら辞めてしまったらいいのに、と自分でも思いつつ、貧乏性だしもう少し通ってみようかと思っているところ。。。