かつどうきろく帳

てさぐりなブログ。

すきなことをすきなだけできたら

 教室の先生のお誘いで、とある小学校で演奏するというボランティアをさせてもらった。ものすごく久しぶりに「学校」という建物の中に入ったけれど、子どもたちって本当に美しい場所にいるんだなぁと思った。今も昔も日本のどこであっても。自分たちが生み出した物、誰かが残していった創造物に囲まれて、なわとびやボール遊びをしたり、歌ったり、興味が向かう方へ躊躇なく走っていったりする子どもたちを見ていたら、学校は本当に守られるべき場所だなぁ、と強く思った。

 

 まぁそれはいいとして、本来の目的である演奏の方は、うまくいったと思う。でも、大人の前で演奏するよりも、子どもたちの前で演奏する方がわたしは緊張するらしい。みんなにとって楽しい時間にできたらいいな、と当初は思ったけれど、いざ会場で着席した途端、「みんなにとって楽しい時間」とはどんなものなのかが分からないことに気づいた。だから、もういいや、自分が楽しければいいだろ、という気持ちで臨んだ。

 

 とにかく楽しかった。緊張しすぎて指が震えてうまく運指できないけど、いつもの数倍以上は楽しいステージだった(私にとっては、だけど)。聴いてくれる人たちの反応を間近に感じることができたのは貴重な経験だと思う。わざわざ自分のところまで来て「わたしもその曲やってみたい!」とか「上手になるには何年かかるの?」って言ってくれた子もいたりして(上手っていうわけではないけど、演奏し始めてまだ1年半くらいか・・・短っ)。今日聴いてくれた子たちの中の誰かと、いつか一緒に演奏できる日が来たらいいなぁとか思う。そのときはわたし低音担当したい(最近ベースのかっこよさに気づいたのだった)。

 

 どんな楽器でも、触れたり音を出したり、みんなで合奏できたりすると楽しい。私が子どもの頃の音楽の授業ってほんとにつまらなかった。すっごく面白い楽器が手元にあったのに、あの時間はなんだったんだろ、って今でも思う。何でもどんどんできるようになる時期に、同じフレーズを繰り返しすぎてゲシュタルト崩壊しそうになるより、演奏したい曲を沢山、楽しんでやればよかったのにって思う。まぁでも教える側からしたらそうはいかないよね。

 今日会った子たちは、音楽の授業は楽しく過ごせてるかな。

 

 と色々思いつつ、初のボランティア活動を終えました。ふぅ。 

 

わたし、飛び立たない。

 3月が近づいてくると、そわそわするのは私だけじゃないはず。親しい人たちがここからどこかへ移動してゆく気配がある。その後すぐに知らない人たちがここへやってくる予感も。

 いきをはく、すう。今はその折り返し地点に至ろうとしている季節だ。

 

 「移動」に強い憧れがあった頃、鳥のように軽々飛び立ってゆく人たちが強く美しく見えた。現状を見切ることが速いというか、自分のやるべきことがここになければすぐに飛び立てる決意があるというか。

 だから、仕事を辞めたり、仲間内から去ったりする人こそが残る者よりも正しい選択をしている気がしていた。そこに居残る自分の判断力やフットワークの悪さを痛感したり、置き去りにされた気持ちで猛烈に寂しくなったりした。

 そんな嫌な気分を味わいたくはないから、何の目的も考えもなしに、すぐに辞めたり、去ったりしたものだった。単に例の鳥属性の人間であるふりをしようとしたことだってある。

 

 まったく、お恥ずかしい話だけど。かつては若かったし、今は年を取ったのだ。

 

 去ってゆく人たちを見送ることに徹しようと思ったのは、ほんとここ数年のことだ。おろかな選択だとしても、まずはここに居続ける。何年か定点で物事を見ていれば、短期間では見ることができないものがあるかもしれない。役に立つことかどうかは分からないけど、上空ばかり気にしていたわたしはまだ見たことがないだろうし、いっぺん見てみるのも面白いだろう。

 

 こんなことを書いてみたのも、長く一緒に仕事をしてきた人から「3月で辞めることにした」と打ち明けられたからで。何が善き選択かは誰も分からない。その人なりの選択であり、わたしはわたしの決めた場所で見送る。

 でも、やっぱり寂しいなぁ。きっと最終日はちょっと泣くと思う。

あたらしい世界にふれてみる

というわけで、注文してた楽譜が届いた。

 

色んな方のリコーダーの演奏を時々youtubeで見て参考にしてるのだけど、すると「あなたへのおすすめ」っていうのもリコーダー一色になったりして、思いがけず素敵な演奏に巡りあったりする。先日も、すっごくかっこいい曲を発見して、どーしてもその譜面が見たいと思って、調べて注文。注文から2週間くらい経った一昨日、無事届いたという次第。

 

で、この楽譜だけど、Pete Roseという作曲家のI'd Rather Be in Philadelphiaという曲(組曲っていうのかな)。ジャズみたいな3曲で構成されています。動画で見て感動したのは、2曲目のshoe store。ブルースみたいな曲で、楽譜の一番最初に「with Soul」って書いてある。魂こめろってこと?それとも音楽用語?いや〜もうこの冒頭の言葉だけでもかっこいい。

他の2曲もとても素敵で練習し甲斐もありそうだし、しばらく遊べそうです。

 

ところで、ジャズの演奏家というのは日頃どういう練習しているんだろうと思う。ジャズっていうと偏ったイメージかもしれないけど、コード譜みたいなのしかなくて、あとはその場の雰囲気やその人のセンスで演奏する、っていう感じなのかなーと。そんなこと普通の人にはできるものなのだろうか。楽譜のある音楽しかやったことのない私には、その雰囲気の読み方とか、センスの磨き方とか、普段どうやって練習して身につけてるのかなぁと、想像もつかないな。

だから、それっぽい曲を練習することで、自分にとってのあたらしい世界を少しだけ覗く真似をしてみたい。やっぱりこれまで楽しんできた曲と違って、with Soulの曲は吹いてて気持ちが熱くなるんだよね。ジャズやってる人たちの温度にちょっとさわれたら嬉しい。

町はずれのおおきなうつわ

 祝日を利用して父が遊びにきていたので、昨日は仕事非番の日にした。

 自分はこちらに来てもう数年も経つのに、いまだ不案内で、これ!というような名所に連れていってあげることができないまま帰してしまった。父はなんだかんだと難しいことを言いながらも、満足したようだったけれど。父滞在中はずっと曇り空のお天気で、最後の日は冷たい雨。せめてお天気でも良ければ景色もよく見えたろうにな。

 新幹線に乗りこむところまで見送ったあと、その足でカラオケ店へ行った。歌うのか?いえいえ、笛鳴らすんだい!だってしばらく練習してなかったからね。

 カラオケ店で練習するのはこれが2度目。行くと結構お金がかかるので、2ヶ月に1度以下かなーと思う。あまりお金がかからない練習室は、いつ見ても空きがない。朝から晩までずーっと予約で埋まってる。いったい、平日の昼間にみんな何の練習してるんだろうな。

 カラオケ店で受付をしたときに、楽器練習したい旨伝えると、「あ、演奏家の方ですか?」と聞かれた。いや、そんな大それた身分ではありませんよ。その辺に転がってる石みたいなもんです。「楽器は何を?」縦笛です!プラスチックです!きゃ〜言ってしまったわ。「それなら全然構いませんよ〜」

 受付の男性が言うには、楽器の練習をしに来店する人は多いのだそう。「ぼくが一番びっくりしたのは、金属のでっかい楽器もって来る人ですね。一番角の部屋にお通ししてます」とか言って、迷惑には思っていないみたいだった。ちょっとほっとした気分。お兄さんも優しい方でよかった。

 にしても、いったいチューバみたいな楽器を個人所有してる人って何やってる人なんだろうなぁ。そんなの持てるぐらいなら、自宅に防音室があっても良さそう。いいなぁ、防音室。自分で作れないだろうか。

 3時間ほどのんびりとコーヒーを飲みながら、気が済むまで練習をした。高音を出せるなんて、本当に貴重な時間だ。高音が苦手なのに、なぜだか高い音が必要なパートをやることが多い。音をはずすと、みんなが噴き出してしまうから、いつも申し訳ないと思う。先日、一緒にレッスンを受けている女性に、高音をうまく出すにはどうしたらいいか相談してみた。彼女のアドバイスによると、やっぱり親指で作る隙間が甘いみたいで、第一関節をきゅっと締めてやるとうまく出るようになった。でもこの方法だと、速いテンポのときに指が回らない気がする。どうしたらいいんだろうなー。

 お店を出ると、雨があがってすっきりと晴れていた。あなぐらから這い出てきたモグラみたいな気分の帰り道だった。

 

母に時代が追いつく日

 私の母は昔から手芸が好きなようだ。母の母も、和裁が得意だ。だから、その血をひくはずの私も、手仕事が得意であってもよさそうなものだ。けれど、私はそういうことに全く興味を持てないまま年をとってしまった。ミシンも怖くて使えないし、編み物もやりたいと思わない。母が一つのものを作り上げる、その根気の良さには本当に関心する。5年前に母が脳梗塞で倒れ、左半身が不自由になったため、半年ほどリハビリ施設にいたことがある。入院の間に作り上げたものの完成度に私は驚いたものだった。

 と、まぁ褒め讃えているけれども、母のセンスは私から見て、実はイマイチだ。冬が近づくと、マフラーやセーターを作りまくる母だけれど、色選びがなんというか・・・。派手好きなのか、突拍子もない色を選ぶのだ。少しシックな色合いでまとめれば素敵なのになぁ、と思うことが多々ある。蜜柑色のフード付きスヌードをお揃いでかぶる父と弟を見るといつも笑ってしまう。

 一昨年の初冬、母から荷物が届いた。箱の軽さに嫌な予感がしたが、開けてみてやっぱりな、と思った。ごついセーターが2枚入っている。白と紫のかぎ編みのセーターと、同じくかぎ編みでオレンジとピンクのセーター。色合いがひどい上に、半袖なので、いつ着るんだよ〜と苦情の電話を入れた。すると、母からは「白と紫は、ひるねすきー君(夫)のママにあげてね」と返ってきた。えええっ・・・いやいや無理無理、これは人にあげられるものじゃないよ・・・。そんなわけで私は、その2枚のセーターをこっそり自分で所有し、しかも衣装ケースの奥底に詰めて眠らせていた。

 ところが、今日のことだ。なんとなく若い人たちが履くようなジーンズがほしいなぁ、なんて思って、ガラにもなくフレアジーンズを買ってみた。試着しながらふと、あのセーターのことを思い出したのだった。でも、その時点では「着てみようかな」と思ってはいない。あのセーターをクッションカバーにでもするか、みたいなことを考えていた。全くひどい娘じゃないか私は。いや、でも本当に着るのは無理だと思っていた。

 帰ってきて、衣装ケースをひっくり返し、例の2枚を取り出した。うわぁ、今みてもひどい色合いだ。しかし、なんとなく思いつきで買ってきたジーンズと合わせて着てみたら・・・あれ?なんかいい感じだ・・・。不思議なほど、そのセーターたちが素敵に感じられるようになった。しかもしかも、絶妙なボートネックだったり、ハイネックだったり、どうなってるんだ。これはちょっと着て歩きたいではないか!

 自分でも不思議でたまらない。この心境の変化はなんだ?年取ったからなのか?それとも母がフレアジーンズに合うセーターを作ってたってことなのか?そうだ母は若い頃パンタロンとか履いてたんじゃん!うっわそっかー見くびりすぎてたわお母さんすっげーごめん!

 そんな経緯で、今年の冬はちょっと冒険をしよう。手編みの、ど派手なセーターで外を出歩いてみる!でも案外すごくいいんじゃないかなと思っている。田舎で家に籠って生活している母のセンスに時代が追いついた、なんて冗談半分だけど、母に言ってあげたいものだ。

 お母さん、今更ながらですが、セーター2枚、たしかにいただきましたよ。

ソプラニーノを買う!

 レッスンでやっている曲の中で、ちょっとだけソプラニーノを使う必要が出てきた。ちょっとだけ=8小節だけです。これまでお借りしながらしのいできたけど、さすがに何回もお借りするのも申し訳なくて、購入することにした。

 せっかくだから木製にしようかなーと思ったけど、あまり使わないのに高いお金をかけるのもどうか、とか考えて、結局aulosの樹脂製を注文した。多分火曜日には到着予定。

 ついでに、一枚楽譜も購入することにした。通販だから、どんな楽譜で自分が吹ける程度のものなのかは分からない。まぁあまり高くないからいいかな。

 

 ひとりでバロック音楽をずっと練習していると飽きてくる。で、ときどきリコーダーでジャズを演奏している人の動画を見たりして、こういうのもかっこいいなぁとか思う。

 あるプレイヤーの動画を見てると、ひとりで演奏しているのにしっかりとリズムが伝わるのがすごいな、と思う。伴奏者がいないと、たとえば裏拍うちつづけてることなんか伝わりづらいと思うのに、はっきり分かるのがすごい。

 ジャズ演奏を聞きながら、バロック音楽の演奏と少し似てるのかなぁとも思う。楽譜通りじゃないものを求められてる気がするから。わたしならどうあがいても楽譜通りにやる以上のことはできない気がするけど、憧れるなぁ。

彼女の迷宮入り

 試用期間、という言葉を強く意識したことは、あまりない。「そういえばそういう言葉があった」というくらい。初めて就職した時は、6ヶ月の試用期間を意識したかもしれない。でも、6ヶ月過ぎたあたりに何か儀式的なものがあったか、というと覚えていない。お試し期間の終了はぼんやりしたものだった。

 それからいくつかの会社を転々とし、それぞれ数年ずつ在籍した。転々としてはいたけれど、試用期間で切り落とされたことはなかった。求人票に書かれている試用期間とは、形式的なものだと思っていた。会社が求人票を作成するに当たって、書けと言われてしぶしぶ書いているようなものか、と。採用された後、「形式的ではありますが、一応試用期間は3ヶ月です」的なことを言われたことがある。賢くないわたしは、「形式ですか、そうですか」と鵜呑みにしていて、燃え上がる向上心もとくに持たずに淡々と仕事をした。

 なぜこんなことを、思い出したように記しているかというと、友人からこの「試用期間」に苦しめられている、という相談を受けたからだ。

 誠実で、勉強家。プラス思考で明るい人。それが彼女の印象。とても几帳面で、その几帳面さだけが心配な点だ。わたしは、自分が彼女とそれほど親しい間柄とは思っていなかったから、何年もまったく連絡をとっていなかった。彼女にとってはどうなんだろう。ある年から定期的に連絡が来るようになった。他愛もないことを話す。でもきっちり30分で切るあたりは、彼女の几帳面な性格の強烈さが見えるみたいだと思った。

 そんな彼女が、最近「試用期間」に苦しんでいる、とわたしに電話をくれるようになった。今までは数ヶ月に一度くらいの電話だったのに、週に一度くらいの頻度になった。しかも時間制限をかけない。かなり困っているんだな、と思う。

 実は、昨年彼女は大きな決断をしたのだった。それは、これまでやってきた仕事を全部真っ白にして、自分が幼い頃から夢見ていた職業を目指して0から始めるという、無謀な決断だ。既に守りに入る年齢となったわたしは、その転職報告を受けるなり、「えー!」と叫んでしまった。

 以来、彼女は3ヶ月ごとに首を切られては別の会社に入る、ということを繰り返している。4社目からも放り出されたことを半泣きで報告してきたときは、あまりに可哀想で、アドバイスも何も言葉として出てこなかった。何よりも彼女のお財布具合が心配で、もう諦めて元の職種に戻ってコツコツやりなおそうよ、と言ってはみたものの、彼女のプラス思考がそれを遮ってしまうみたいだ。

 彼女によれば、試用期間の設定は各会社それぞれ違うようで、6ヶ月だったり、3ヶ月や1ヶ月ということもある。期間終了が間近なころに「これまでの間に戦力となっている必要があるのに、あなたはそれに達しなかった」、と告げられるのだとか。確かに、即戦力でなければ厳しいだろうとは思うけれど、やっぱり世の中厳しいものだ。

 これまで聞いてきた話から推測するに、試用期間で切られ続けていると、短期間の職歴しか持つことができないから、「仕事を長く続けられない人」と判断されてしまう可能性もあるんじゃないだろうか。彼女がもし、その螺旋の中に迷い込んでしまったらこの先どうなるんだろうか。いいや、多分もうその中に入ってしまったんだろう。

 でもわたしは、こんな風にさまようことになってしまった彼女の、あの決断を笑えない。はじめるということに年齢は関係ない、みたいなきれいな言葉をわたしも信じていたからだ。でも、老いてから夢を追うことは、場合によっては破滅にもなりかねない。彼女を通して、それをひしひしと感じる。