わたし、飛び立たない。
3月が近づいてくると、そわそわするのは私だけじゃないはず。親しい人たちがここからどこかへ移動してゆく気配がある。その後すぐに知らない人たちがここへやってくる予感も。
いきをはく、すう。今はその折り返し地点に至ろうとしている季節だ。
「移動」に強い憧れがあった頃、鳥のように軽々飛び立ってゆく人たちが強く美しく見えた。現状を見切ることが速いというか、自分のやるべきことがここになければすぐに飛び立てる決意があるというか。
だから、仕事を辞めたり、仲間内から去ったりする人こそが残る者よりも正しい選択をしている気がしていた。そこに居残る自分の判断力やフットワークの悪さを痛感したり、置き去りにされた気持ちで猛烈に寂しくなったりした。
そんな嫌な気分を味わいたくはないから、何の目的も考えもなしに、すぐに辞めたり、去ったりしたものだった。単に例の鳥属性の人間であるふりをしようとしたことだってある。
まったく、お恥ずかしい話だけど。かつては若かったし、今は年を取ったのだ。
去ってゆく人たちを見送ることに徹しようと思ったのは、ほんとここ数年のことだ。おろかな選択だとしても、まずはここに居続ける。何年か定点で物事を見ていれば、短期間では見ることができないものがあるかもしれない。役に立つことかどうかは分からないけど、上空ばかり気にしていたわたしはまだ見たことがないだろうし、いっぺん見てみるのも面白いだろう。
こんなことを書いてみたのも、長く一緒に仕事をしてきた人から「3月で辞めることにした」と打ち明けられたからで。何が善き選択かは誰も分からない。その人なりの選択であり、わたしはわたしの決めた場所で見送る。
でも、やっぱり寂しいなぁ。きっと最終日はちょっと泣くと思う。