ヴィクトリースター号 客室とレストラン
宿泊するお部屋。入った瞬間は感動しました・・・。立派すぎる・・・。
初の船上泊にわくわくが止まらない・・・。
もちろん窓際のベッドを占拠します。
出発まもない時間の、バルコニーからの風景。
船が・・・船がたくさんあるっ・・・!鼻血がでそうです。
ハロン湾周辺は開発がすすんでおり、海上工事も結構おこなわれている模様。客船もたくさん浮いてますが、お仕事船も数多く見えます。
こちらは3Fのレストラン。
翌日のブランチビュッフェ前の様子。各テーブルには各国の国旗が配され、どのテーブルにどこの国の人が座っているか分かるようになっています。自分が分かる範囲だと、マレーシアや台湾、フランス、スペイン等の旗がありました。
内装の色合いは落ち着いていて、リラックスできます。ここで、お昼、晩ご飯、翌朝、ブランチ、と4食いただきました。どれも美味しかった。晩ご飯はコース料理で、メインはお魚。川魚っぽい匂いで、若干の癖がある感じ。
景色を眺めながら、ゆったりとおいしいご馳走をいただく幸せ。ハロン湾の奇岩風景は広範囲で、1500㎢あるそう。1泊2日でも周りきれないだろうな。この湾を約1000隻の客船が行き来しており、うち7割が日帰り観光船だとか。日帰りはちょっともったいない。船上泊にして良かったなぁ、としみじみ。
ハロン湾 ヴィクトリースター号にのる
渡し舟で沖に向かうこと5分。ついに、今回お世話になる、ヴィクトリースター号に乗り込む。
近づきすぎて全貌を撮るチャンスを逃した・・・。テラスも合わせて4F建の船。1〜2Fが客室。3Fがレストラン。自分たちの部屋は2Fのバルコニー付のお部屋でした。キャプテンのおわす操舵室のすぐ近く。ティエンさんはエンジン近くの1Fの部屋だそうで、音がうるさいとぼやいていた。仕事ってどこ行ってもそういうものなのだね・・・。
翌日朝に撮った、船の全体写真。帆を張ってます。
ぽてっとしてかわいらしい。
ハロン湾 客船までの渡し船にのる
ハロン湾の港で、今回乗船するヴィクトリースター号の船長さんを発見。
きりっとした雰囲気の方。白い制服がまぶしい。船長さんと同じ渡し船で、沖に停泊している本船に向かいます。2日間よろしくおねがいいたします。
渡し船の運転手。運転席をのぞいたら、謎のメーターが2個ついてました。レバーとハンドルで操作。これだけで運転するのかぁ・・・。操作が簡単そうに見えてしまう・・・。手前の黒い人影はガイドのティエンさん。ティエンさんは乗船中ほぼつきっきりで案内してくれます。ちょっとめんどくさいくらい一緒にいてくれますが、仲良くなったしまぁいっか。ティエンさんは日本語とロシア語のガイドをしており、英語は専門外なんだそうです。商魂は強い。
1台目の渡し船がヴィクトリースター号にむけて出発!ベトナムの旗をかかげて、沖に向かいます。今日の乗船客は約40名とのこと。うち、日本からは自分たちだけでした。不安・・・。
ハロン湾までの道のり
世界遺産・ハロン湾でのクルーズをメインにしたツアーに参加。情けないことだけど、自分たちは英語やベトナム語でのコミュニケーションがほとんどとれないので、日本語のガイドさん付きのツアーにした。クルーズということで、船好きかもしれない自分としては旅行を決めて以降、当日までの間、かなりわくわく度が高かった。
ハロン湾へは、ハノイ市から北東に車で約4時間ほど。途中、怪しい土産物店に連れて行かれて豪快に買い物をしてしまうという(多分市内の土産物店の10倍くらいの価格で売ってる)、後日ひじょーに落ち込む出来事もあったけど、なかなか楽しい道のりだった。
悪路あり、渋滞あり。ハイウェイという名の高速道路っぽくない道をすすむ4時間。とても長いようだけれども、その間ガイドのティエンさんが、ベトナムの歴史、道路事情、人々の暮らし、農作物、産業、言語など、さまざまなことを話してくれる。その話題の広さに驚いてしまった。旅行前に読んだどの本にも書いてなかったことも教えてくれた。車窓の風景と合わせてその話に耳を傾けていると、全く飽きず、居眠りもしなかった。
車窓の風景で衝撃的だったのは、食材として運ばれる犬だった。お腹をかっさばかれて、内臓がきれいになくなった状態で、バイクの荷台で仰向けに載せられている。長年犬を飼ってきたせいか、今回の旅の中で一番忘れられない光景だった。さすがに写真を撮ることはできなかった。
道路の埃がひどく、前も見えない状態だったので、窓を開けることができなかったけれど、郊外の農村の匂いをかいでみたかったな、と思う。ティエンさんには、窓開けたら肺の病気になる!と言われたけど。それぞれの集落の門のずーっと先に集落があるのが見えた。あの先にどんな風景があるのか、どんな暮らしをしているのか。ハノイ市街の入り組んだ感じも面白かったけれど、農村集落の様子もきっと面白いだろうと思う。ティエンさんによると、門の立派さで集落の豊かさが分かる、とのこと。
この旅行でも、それからこの後の人生でも、興味本位でしか世界を覗かないわたしには見ることが許されないことは沢山あるのだろう。
このごろのこと。
テレマンのファンアジアをひと月に一番ずつ練習して、今ようやく9番まで来た。3月から始めたので、1〜3番はまとめて3月に練習。あとはひと月ずつ。ここまで練習してきたなかで、9番が一番かわいらしくて好きだな。でもって、運指も他とちがってちょっと楽な感じがする。
集合住宅での楽器の練習はとても気が引けるので、歌口に紙をいれてみたり、場所を別に借りたりしてやっている。安く借りれる練習室は、ひと月も前から埋まってしまって、なかなか利用の機会がめぐってこない。しびれを切らして(?)、先日カラオケボックスを利用してみた。笛を数本抱えて一人で入るなんて異様かなと思ったけれど、店員さんは全然OKです、とおっしゃっていたし、それほど珍しいことでもないのだろう。
今受けているレッスンでは自分の演奏に対してのアドバイスというものをもらえないから、自分の音を録音して、youtubeで演奏家の音と聞き比べている。演奏している間は気持ちがいいからあまり気がつかないけれど、録音を聞くととてものっぺりしていてつまらない。それに比べると演奏家たちの演奏は本当に飽きない。技術だけではなくて、構成をしっかり頭に入れているんだろうな。その構成の理解のしかたも一通りでないから、色んな演奏があるんだろう。
以前は沢山の音が集まる音楽をよく聴いていたけれど、今は音の少ない曲が、静かだからなのか、とても好きだ。このごろmasayoshi fujitaというヴィヴラフォン奏者の曲を聴いている。耳を傾けていると、ひとつの音があれば、もう一つ自分が音を立てるだけで音楽になるのだなぁと、当然のようなことに感動する。
ってちょっと固有名詞をいくつか書いただけで緊張してしまった。なぜだか、自分から固有名詞を出すのが本当に怖いというか。なんの恐怖心なんだろう。それを所有した気になっている自分を危ういと思っているのかな。自分でもこの心理がよくわからない。いつからこんな風になったんだろう、以前はそうじゃなかったと思うんだけど。
しあげる、からシフトしてみる
とあるアンソロジー集に、自分の詩も載っけてもらえるということで、ここ1ヶ月ほどあれこれと悩みながら取り組んでた。でも、やっぱりどうにもことばが出てこない。なんだかずっと、白紙を目の前に頭をかかえてた1ヶ月だった。
という話をしたら、書く癖がなくなったからなんじゃないの?という意見をちょうだいした。すごく納得。なので、ちょっとずつ書く癖を取り戻していこうと思ってる。くだらないことでも、些細なことでも、なんでも書き付けてしまおうか。
ここ数年は仕上げることだけを目指してた気がする。完成という理想形ばかり念頭にしているから、ことばが出てこなかったのかもしれない。何も思うことがない、何も感じることがない、感動しない自分に引け目を感じてた。年取ったせいかな、とか、自然いっぱいの土地から町に移り住んだからかな、とか。でも、本当は多分その瞬間瞬間に何かを感じていたはず。引け目を感じていたのは、白紙の前でだけなんだ、という気がしてきた。
白紙が怖くないように。また、自分がいつも自分であることに決して自信を失わないように。やっぱ何か行動しようって思う。
おわらせたくないから、まだ送らない
ちょうど10年程前に出会ったももちゃんとは、特別親しいわけではないんだけど、二人の間に一瞬本当に電流が通った気がする仲だ。あの瞬間、たぶんお互い瞳孔が完全に開いてたんだと、今でも思う。こっちに引っ越す前から、ほとんど連絡もしてなかったけど、年に1度くらい思い出したようにメールを送ったり、送られたりしてる。
そんなももちゃんから、例の通りメールが来て、おぉそうか月日が経つのはあっという間だなと感じる。近況に、いま恋してます!って書いてあるけど、前回もそんなことが書いてあったから、進展ないんだろうかなーと老婆心が動きそうにもなる。
年に1〜2度のメールには、すぐに返信するのがもったいなくて、ちょっと間を空けてしまうのが私の癖。だから、実は親友へのメールの返信も一週間たって未だにしていない。送ってしまったら一年が終わってしまうような気がするし、こういったやりとりは花火やまつりのようなものだから、もったいをつけてしまうんだ。
返信には必ず近況を一言添える。いまの私の近況を、と思っても目新しいこともなく、報告すべきこともない。陶器の表面を、1丁目から5丁目まで歩いては戻り、歩いては戻りしている毎日は、滑らかで匂いがなくて穏やかすぎて、感覚が鈍ってしまいそう。思えば、ももちゃんたちと詩の話をしていたときは、互いの繊細な事柄に触っていたんだな。わたしたち混沌からふと顔をあげたような生命なのだから、そういう繊細なことをもっとかなしみたいのだけど。
何書こう、何送ろう。そればっかり繰り返してて、まっさらな私が部屋にぽつんといる。