かつどうきろく帳

てさぐりなブログ。

ついに健康診断の予約をする!

 健康診断の予約をした。周りがあんまりうるさくすすめるので、気乗りはしないけど受けることにした。

 

 自分の身体の状態にあまり興味がない。身体に興味がないっていうのも変な話だ。謎の病を抱えている夫には、身体を交換してほしい、とよく言われるほど私は丈夫だ。大きな病気をしたこともなく、怪我もしたことがない。風邪をひいても、翌朝には治っている。子どものころは学校が嫌いだったから、具合悪くなると、すぐ治るのに休んでいた。今は仕事が好きだから休む理由もなく、体調不良で休むということがない。

 しかし、母方の親戚にガンで亡くなった人が多く、一昨年は母がガンになったこともあって、将来の自分の健康状態には若干の不安がある。さらに、会社がケチって省略版の健診しかしてくれないので、4〜5年血液検査をしてない。これは自分でも気になるところではあったので、重い腰をあげてみた。

 

 予約の電話をかけたところ、もう半年以上さきまで予約が埋まっているとのこと。世の中の人たちは自分の身体を大事にしてるんだなぁと感心した。しゃーない、半年以上先の予約を、と思ったら今月のキャンセルが入った日に入れてもらうことができた。わぁい!

 というわけで、いきなり今月末の健診を入れたので、特に何かを整えようというでもなく、抜き打ち状態で挑むことになった。現在の状態を知るには、抜き打ちの方が逆にいいのかもしれない。

 

 健診といえば、先日人間ドッグを受けた夫は毎日のように検診結果の数値とインターネットを見比べている。正常値をちょっと上回ったり下回ったりしているのを見て、もうすぐ糖尿病になってしまうかも、とか、肝臓がダメかもしんない、とかぶつぶつ言っている。傍から観ていると、神経質だなぁと思ってしまう。

 あれを食べちゃだめ、これを食べなきゃだめ、とかどこから情報を得てくるのか、生活に制限を掛け始める。食事を作る方にしてみれば少し面倒な話だが、本人が不安がっているのだから付き合ってやらねばなるまい。

 不健康に至る可能性がある道を断って、完璧な健康を目指すって大変だなぁと思う。私自身は色んなものを食べ、普通に生活していれば、いいことあるかも、ぐらいしか考えてない。完璧に健康であっても、結局死んでしまうのは同じこと。そんな風に思ってしまう私は、原始的なんだろうな。

 

ついに楽器を買う!

 ゴールデンウィークということで、とくにどこかに行きたいわけでもなかったんだけど、いい機会だからと思ってリコーダーを買いに東京・銀座まで行ってきました。住んでいる地域に販売店があるといいのだけど、木製のを置いているお店が1軒もないようです。ネット通販で手に入れるのもいいのですが、実際目で見て買いたいと思っていたので、楽器購入費用に交通費がどーんと上乗せ。ついでに久々にあちこち訪ねてみよう、と思うと宿泊費と食費と諸々が上乗せされ、気づけばすごい出費になってしまいましたが・・・。

 

 これまでリコーダー関連で知り合った人たちに「木製リコーダーいいなぁいいなぁどうやって選んだんですかそれー」と尋ねると、「いくつか試奏すると、『自分にしっくりくる音』が出る楽器が分かる」という答えが返ってくることがありました。自分にはそんなの聴き分けることができないと思ってたけど、不思議なことに分かるんだ、と。

 そのことが頭にずっとあったので、わたしにも運命的に出会える楽器があるんだろーか、と考えていました。

 

 地下の銀座駅から街に出ると、通りいっぱいがとてもよい香りで満ちていました。歩いている人たちも、なんとなく華やいだ雰囲気をまとっていて、こういうところで楽器買えるなんて幸せだなーって思ったりする私。

 ヤマハ銀座は、建物自体が美しいことは知ってたのですが、自分には縁がないと思ってたので、訪れる機会がやってきたこと自体嬉しかった。建物の内装も美しくて、まるでコンサートホールが形を変えて、迷宮をつくってるような印象。そのメイズの中に、楽譜や楽器や音楽に関わる物事が置かれているという、鼻血が出そうな場所でした。

 

 で、肝心のリコーダーですけれども、選び方も買い方もわからなかった私は、すぐに店員さんにヘルプを出しました。明治か大正のとてもよい時代に生きていた青年みたいな風貌の店員さんが選定の手助けしてくださって、不安でいっぱいだった私としては本当にありがたくってありがたくって(TT

 ソプラノとアルトを購入したのですが、正直ソプラノを選ぶときは「よくわかんなかった」です。試奏しても、どれも同じに聴こえるし、吹いた感じも違いがわからなかった。手頃な値段の、好きな色で選んでもいいかなーと思ったわたしは、モーレンハウエルというメーカーのカステロなる材質のものを選択。ヤマハの接続部が人工象牙のやつもすごく好きな雰囲気だったのですが、色も名前もおいしそうな方を選びました。

 この時点で「私と楽器には運命的な出会いってないんだなー」とちょっとテンション下がり気味になっていた私。内心、自分の感覚の鈍さにがっかりしつつ、アルトの選定へ。

 ところが、一番最初に紹介していただいたアルトを試奏したとき、「これめちゃめちゃいい音!」となぜだか強烈に感じました。お、これが運命ってやつか?と落ち目だった気持ちが徐々に高揚してくる・・・。次、さらに次、と紹介していただくのですが、一番最初に吹いたものが気に入っちゃった私には、もう多分他の楽器の音を聴いてもあまり心に響かないわけです。というわけで、タケヤマというメーカーの楓材のアルトに決定しました。

 多分30分ほどで約10万円のお買い物を決めてしまいました。高い買い物ってそんなもん?こんなどでかい買い物は初めてなんですが、こんな短時間で決めた自分にびっくり。んでもって、多分みんなが言ってた「運命」が、自分にもあったのかもしれないことが嬉しくって、貯金の首ったまがぶっとんだけど全然後悔してません。

 

 というわけで、初楽器購入の旅を無事に終えて帰ってきました。少し小さめの音で吹いてみましたが、よくわかんなかったソプラノも、吹き込んだ息が全部きれいに音になっているような感覚があって、「これ選んでよかったかも」と満足してます。

ゆるくとどく

 年度末で仕事も忙しさが増してきている。加えて、課外活動(?)もすごく忙しくなってきた。2つ掛け持ちしてるけど、どっちも本当はそんなに深入りするはずのなかったもので、こんなにあれこれやることになると、負担に感じるようになってきた。気楽に、参加できるときだけやれる、っていう活動じゃないと、面倒臭がりな私にはきつい。夫に言わせると、好きで自分で背負い込んだだけ、と。まぁそうなんだけどね。思いついた素晴らしいアイデアは、言わずにはいられない。んで、それを実行にこぎつけずにもいられない。だから、自分で面倒なことを持って帰ってきてるだけなんだよね。

 

 若干憂鬱なこの頃だけど、嬉しいこともあった。ももちゃんからメールが来たのだ。お元気?詩をつくったから送るわね。その二言と、短い詩が送られてきた。

 ああ、手紙のように詩を送るってすごい素敵だ。送られてきた彼女の詩は、感情がまっすぐで濁りがない。何が起きているのかよく伝わる。本心を文章とし、少し飾り、行分けすると、本当のスピードよりゆるくなる。スピードを弱めるだけで素敵な贈り物になるんだ、と言っているみたいだ。言わなければいけないこと、かくしておくべきことに注意深くなる毎日の中に、そんな詩がすっぽりと入り込んでくると、やっぱりいいなぁという気持ちが起こってくる。

 

 で、私は詩を返送したいって思ってる。でも全然書けない。一つも文字が浮かばない。そうして、いつものように返信を明日、明後日、いやもう1日、と延ばしてしまう。それを忙しさのせいにしたりして、冒頭に、ごめんね、を書く用意なら万全に整っている。

すきなことをすきなだけできたら

 教室の先生のお誘いで、とある小学校で演奏するというボランティアをさせてもらった。ものすごく久しぶりに「学校」という建物の中に入ったけれど、子どもたちって本当に美しい場所にいるんだなぁと思った。今も昔も日本のどこであっても。自分たちが生み出した物、誰かが残していった創造物に囲まれて、なわとびやボール遊びをしたり、歌ったり、興味が向かう方へ躊躇なく走っていったりする子どもたちを見ていたら、学校は本当に守られるべき場所だなぁ、と強く思った。

 

 まぁそれはいいとして、本来の目的である演奏の方は、うまくいったと思う。でも、大人の前で演奏するよりも、子どもたちの前で演奏する方がわたしは緊張するらしい。みんなにとって楽しい時間にできたらいいな、と当初は思ったけれど、いざ会場で着席した途端、「みんなにとって楽しい時間」とはどんなものなのかが分からないことに気づいた。だから、もういいや、自分が楽しければいいだろ、という気持ちで臨んだ。

 

 とにかく楽しかった。緊張しすぎて指が震えてうまく運指できないけど、いつもの数倍以上は楽しいステージだった(私にとっては、だけど)。聴いてくれる人たちの反応を間近に感じることができたのは貴重な経験だと思う。わざわざ自分のところまで来て「わたしもその曲やってみたい!」とか「上手になるには何年かかるの?」って言ってくれた子もいたりして(上手っていうわけではないけど、演奏し始めてまだ1年半くらいか・・・短っ)。今日聴いてくれた子たちの中の誰かと、いつか一緒に演奏できる日が来たらいいなぁとか思う。そのときはわたし低音担当したい(最近ベースのかっこよさに気づいたのだった)。

 

 どんな楽器でも、触れたり音を出したり、みんなで合奏できたりすると楽しい。私が子どもの頃の音楽の授業ってほんとにつまらなかった。すっごく面白い楽器が手元にあったのに、あの時間はなんだったんだろ、って今でも思う。何でもどんどんできるようになる時期に、同じフレーズを繰り返しすぎてゲシュタルト崩壊しそうになるより、演奏したい曲を沢山、楽しんでやればよかったのにって思う。まぁでも教える側からしたらそうはいかないよね。

 今日会った子たちは、音楽の授業は楽しく過ごせてるかな。

 

 と色々思いつつ、初のボランティア活動を終えました。ふぅ。 

 

わたし、飛び立たない。

 3月が近づいてくると、そわそわするのは私だけじゃないはず。親しい人たちがここからどこかへ移動してゆく気配がある。その後すぐに知らない人たちがここへやってくる予感も。

 いきをはく、すう。今はその折り返し地点に至ろうとしている季節だ。

 

 「移動」に強い憧れがあった頃、鳥のように軽々飛び立ってゆく人たちが強く美しく見えた。現状を見切ることが速いというか、自分のやるべきことがここになければすぐに飛び立てる決意があるというか。

 だから、仕事を辞めたり、仲間内から去ったりする人こそが残る者よりも正しい選択をしている気がしていた。そこに居残る自分の判断力やフットワークの悪さを痛感したり、置き去りにされた気持ちで猛烈に寂しくなったりした。

 そんな嫌な気分を味わいたくはないから、何の目的も考えもなしに、すぐに辞めたり、去ったりしたものだった。単に例の鳥属性の人間であるふりをしようとしたことだってある。

 

 まったく、お恥ずかしい話だけど。かつては若かったし、今は年を取ったのだ。

 

 去ってゆく人たちを見送ることに徹しようと思ったのは、ほんとここ数年のことだ。おろかな選択だとしても、まずはここに居続ける。何年か定点で物事を見ていれば、短期間では見ることができないものがあるかもしれない。役に立つことかどうかは分からないけど、上空ばかり気にしていたわたしはまだ見たことがないだろうし、いっぺん見てみるのも面白いだろう。

 

 こんなことを書いてみたのも、長く一緒に仕事をしてきた人から「3月で辞めることにした」と打ち明けられたからで。何が善き選択かは誰も分からない。その人なりの選択であり、わたしはわたしの決めた場所で見送る。

 でも、やっぱり寂しいなぁ。きっと最終日はちょっと泣くと思う。

あたらしい世界にふれてみる

というわけで、注文してた楽譜が届いた。

 

色んな方のリコーダーの演奏を時々youtubeで見て参考にしてるのだけど、すると「あなたへのおすすめ」っていうのもリコーダー一色になったりして、思いがけず素敵な演奏に巡りあったりする。先日も、すっごくかっこいい曲を発見して、どーしてもその譜面が見たいと思って、調べて注文。注文から2週間くらい経った一昨日、無事届いたという次第。

 

で、この楽譜だけど、Pete Roseという作曲家のI'd Rather Be in Philadelphiaという曲(組曲っていうのかな)。ジャズみたいな3曲で構成されています。動画で見て感動したのは、2曲目のshoe store。ブルースみたいな曲で、楽譜の一番最初に「with Soul」って書いてある。魂こめろってこと?それとも音楽用語?いや〜もうこの冒頭の言葉だけでもかっこいい。

他の2曲もとても素敵で練習し甲斐もありそうだし、しばらく遊べそうです。

 

ところで、ジャズの演奏家というのは日頃どういう練習しているんだろうと思う。ジャズっていうと偏ったイメージかもしれないけど、コード譜みたいなのしかなくて、あとはその場の雰囲気やその人のセンスで演奏する、っていう感じなのかなーと。そんなこと普通の人にはできるものなのだろうか。楽譜のある音楽しかやったことのない私には、その雰囲気の読み方とか、センスの磨き方とか、普段どうやって練習して身につけてるのかなぁと、想像もつかないな。

だから、それっぽい曲を練習することで、自分にとってのあたらしい世界を少しだけ覗く真似をしてみたい。やっぱりこれまで楽しんできた曲と違って、with Soulの曲は吹いてて気持ちが熱くなるんだよね。ジャズやってる人たちの温度にちょっとさわれたら嬉しい。

町はずれのおおきなうつわ

 祝日を利用して父が遊びにきていたので、昨日は仕事非番の日にした。

 自分はこちらに来てもう数年も経つのに、いまだ不案内で、これ!というような名所に連れていってあげることができないまま帰してしまった。父はなんだかんだと難しいことを言いながらも、満足したようだったけれど。父滞在中はずっと曇り空のお天気で、最後の日は冷たい雨。せめてお天気でも良ければ景色もよく見えたろうにな。

 新幹線に乗りこむところまで見送ったあと、その足でカラオケ店へ行った。歌うのか?いえいえ、笛鳴らすんだい!だってしばらく練習してなかったからね。

 カラオケ店で練習するのはこれが2度目。行くと結構お金がかかるので、2ヶ月に1度以下かなーと思う。あまりお金がかからない練習室は、いつ見ても空きがない。朝から晩までずーっと予約で埋まってる。いったい、平日の昼間にみんな何の練習してるんだろうな。

 カラオケ店で受付をしたときに、楽器練習したい旨伝えると、「あ、演奏家の方ですか?」と聞かれた。いや、そんな大それた身分ではありませんよ。その辺に転がってる石みたいなもんです。「楽器は何を?」縦笛です!プラスチックです!きゃ〜言ってしまったわ。「それなら全然構いませんよ〜」

 受付の男性が言うには、楽器の練習をしに来店する人は多いのだそう。「ぼくが一番びっくりしたのは、金属のでっかい楽器もって来る人ですね。一番角の部屋にお通ししてます」とか言って、迷惑には思っていないみたいだった。ちょっとほっとした気分。お兄さんも優しい方でよかった。

 にしても、いったいチューバみたいな楽器を個人所有してる人って何やってる人なんだろうなぁ。そんなの持てるぐらいなら、自宅に防音室があっても良さそう。いいなぁ、防音室。自分で作れないだろうか。

 3時間ほどのんびりとコーヒーを飲みながら、気が済むまで練習をした。高音を出せるなんて、本当に貴重な時間だ。高音が苦手なのに、なぜだか高い音が必要なパートをやることが多い。音をはずすと、みんなが噴き出してしまうから、いつも申し訳ないと思う。先日、一緒にレッスンを受けている女性に、高音をうまく出すにはどうしたらいいか相談してみた。彼女のアドバイスによると、やっぱり親指で作る隙間が甘いみたいで、第一関節をきゅっと締めてやるとうまく出るようになった。でもこの方法だと、速いテンポのときに指が回らない気がする。どうしたらいいんだろうなー。

 お店を出ると、雨があがってすっきりと晴れていた。あなぐらから這い出てきたモグラみたいな気分の帰り道だった。