このごろのこと。
テレマンのファンアジアをひと月に一番ずつ練習して、今ようやく9番まで来た。3月から始めたので、1〜3番はまとめて3月に練習。あとはひと月ずつ。ここまで練習してきたなかで、9番が一番かわいらしくて好きだな。でもって、運指も他とちがってちょっと楽な感じがする。
集合住宅での楽器の練習はとても気が引けるので、歌口に紙をいれてみたり、場所を別に借りたりしてやっている。安く借りれる練習室は、ひと月も前から埋まってしまって、なかなか利用の機会がめぐってこない。しびれを切らして(?)、先日カラオケボックスを利用してみた。笛を数本抱えて一人で入るなんて異様かなと思ったけれど、店員さんは全然OKです、とおっしゃっていたし、それほど珍しいことでもないのだろう。
今受けているレッスンでは自分の演奏に対してのアドバイスというものをもらえないから、自分の音を録音して、youtubeで演奏家の音と聞き比べている。演奏している間は気持ちがいいからあまり気がつかないけれど、録音を聞くととてものっぺりしていてつまらない。それに比べると演奏家たちの演奏は本当に飽きない。技術だけではなくて、構成をしっかり頭に入れているんだろうな。その構成の理解のしかたも一通りでないから、色んな演奏があるんだろう。
以前は沢山の音が集まる音楽をよく聴いていたけれど、今は音の少ない曲が、静かだからなのか、とても好きだ。このごろmasayoshi fujitaというヴィヴラフォン奏者の曲を聴いている。耳を傾けていると、ひとつの音があれば、もう一つ自分が音を立てるだけで音楽になるのだなぁと、当然のようなことに感動する。
ってちょっと固有名詞をいくつか書いただけで緊張してしまった。なぜだか、自分から固有名詞を出すのが本当に怖いというか。なんの恐怖心なんだろう。それを所有した気になっている自分を危ういと思っているのかな。自分でもこの心理がよくわからない。いつからこんな風になったんだろう、以前はそうじゃなかったと思うんだけど。
しあげる、からシフトしてみる
とあるアンソロジー集に、自分の詩も載っけてもらえるということで、ここ1ヶ月ほどあれこれと悩みながら取り組んでた。でも、やっぱりどうにもことばが出てこない。なんだかずっと、白紙を目の前に頭をかかえてた1ヶ月だった。
という話をしたら、書く癖がなくなったからなんじゃないの?という意見をちょうだいした。すごく納得。なので、ちょっとずつ書く癖を取り戻していこうと思ってる。くだらないことでも、些細なことでも、なんでも書き付けてしまおうか。
ここ数年は仕上げることだけを目指してた気がする。完成という理想形ばかり念頭にしているから、ことばが出てこなかったのかもしれない。何も思うことがない、何も感じることがない、感動しない自分に引け目を感じてた。年取ったせいかな、とか、自然いっぱいの土地から町に移り住んだからかな、とか。でも、本当は多分その瞬間瞬間に何かを感じていたはず。引け目を感じていたのは、白紙の前でだけなんだ、という気がしてきた。
白紙が怖くないように。また、自分がいつも自分であることに決して自信を失わないように。やっぱ何か行動しようって思う。
おわらせたくないから、まだ送らない
ちょうど10年程前に出会ったももちゃんとは、特別親しいわけではないんだけど、二人の間に一瞬本当に電流が通った気がする仲だ。あの瞬間、たぶんお互い瞳孔が完全に開いてたんだと、今でも思う。こっちに引っ越す前から、ほとんど連絡もしてなかったけど、年に1度くらい思い出したようにメールを送ったり、送られたりしてる。
そんなももちゃんから、例の通りメールが来て、おぉそうか月日が経つのはあっという間だなと感じる。近況に、いま恋してます!って書いてあるけど、前回もそんなことが書いてあったから、進展ないんだろうかなーと老婆心が動きそうにもなる。
年に1〜2度のメールには、すぐに返信するのがもったいなくて、ちょっと間を空けてしまうのが私の癖。だから、実は親友へのメールの返信も一週間たって未だにしていない。送ってしまったら一年が終わってしまうような気がするし、こういったやりとりは花火やまつりのようなものだから、もったいをつけてしまうんだ。
返信には必ず近況を一言添える。いまの私の近況を、と思っても目新しいこともなく、報告すべきこともない。陶器の表面を、1丁目から5丁目まで歩いては戻り、歩いては戻りしている毎日は、滑らかで匂いがなくて穏やかすぎて、感覚が鈍ってしまいそう。思えば、ももちゃんたちと詩の話をしていたときは、互いの繊細な事柄に触っていたんだな。わたしたち混沌からふと顔をあげたような生命なのだから、そういう繊細なことをもっとかなしみたいのだけど。
何書こう、何送ろう。そればっかり繰り返してて、まっさらな私が部屋にぽつんといる。
練習場所に困ってるんだ
新年度に入って、というか年度末から周りがずーっとばたばたしている。何もしていなくても、忙しない周りを見ているだけで疲れてしまうのは歳のせいだわ(最近なんでも歳のせいにしたくなる)。
通勤前と帰宅直後に曲の練習をしているけれど、近隣の迷惑にならないように音を小さくして吹いている。歌口にポストイットをぺっ!と貼ると、不思議不思議、ミュートのように音が小さくなる・・・なるんだけど、音程が低くなるので、調子が狂う。
とにかく練習場所がない。まあ、血眼になってまで行き場を探すほど、本気になってやっているわけではないからいいんだけど。こういうときに防音対策しっかりした立派なおうちに住みたいなぁとしみじみ思う。公共の練習スタジオもあるけど、休日はもちろん、なぜか平日も昼間っからずっと空きがない。みんな暇だなー、と自分のことは棚上げにしながら思ったりする。
場所はたくさんあるのに、自分を投影した他人がぎっしりと町の中にいるから、怖くて自分の好きにできる場所が狭い。細い細い、うなぎの寝床のような自由。いいや、まさにおいらは、うなぎの寝床で細々とふえ吹いてんだ・・・。
低空飛行だからできる、ほんのり継続ってやつ。
リコーダー教室に通い始めて、約半年たちました。月日がたつのは早いものだな。
いまだにグループレッスンという形式に慣れていないけど、通っているおばさまやおばあちゃまたちと仲良くなって、これはこれでいいかもなぁ、と流されていく私。
とはいっても、やっぱり何かかっこいい曲を吹いてみたいもので、無謀ながらもテレマンの12のファンタジーにこっそり挑戦中です。教室の先生に教えを乞うと、なんとなく気を使われそうだし、お金もかかりそう(重要)なので、あくまでこっそりひっそりと。youtubeにupされているイタリアのリコーダー達人の演奏をお手本にしております。
そんな経緯もあって、最近はバロック(?)周辺の曲をよく聞くようになりました。周りが色んなCDを貸して下さるから・・・うちのitunesの曲もかなりいっぱいになってきたよ。お気に入りなのは、ミカラ・ペトリとキース・ジャレットのアルバム。鉛筆の芯に例えたら4Hくらいの硬質な音色のリコーダー。きりっとしているから、聞いているだけで濃くて冷たいアイスコーヒーを飲んでいる気分になる。キースジャレットは確かジャズの人だったような。音楽が好きならジャンルの垣根なんか軽々と超えてしまうんだよなぁ。
他にも、作者不詳〜みたいな曲がぎっしり詰まった怪しい古楽のアルバムも好き。何の楽器で演奏されてるのかも分からない、色んな面白い音が聞こえます。このあたりの時代は、踊るための曲、舞曲が多いようなのですが、お城で貴族たちが上品に踊っているというより、道化が市街の一角で楽しそうに踊っているようなイメージが湧きます。どことなく洗練されていない、素朴な楽しさとか、愉快さが好きなんだな。
教室に通い始める
リコーダー教室を訪ねる
秋は食べ物がおいしい。余計な調理などせずともおいしいというのに、やっぱりケーキが食べたくなることもあります。
さて先日、リコーダー教室の門をたたき、ようやく中に入ることができました。リコーダーには結構前から興味があって、ここ数ヶ月ほど教室だとかサークルみたいなものはないかなーと探していたけれど、まるでない・・・とがっかりしていたところ、カルチャーセンターに教室があると聞いて、見学を申し込んでみたわけです。
ちょろっとお邪魔して、教室の様子をみて、ぷーぷーとピッチの合わない音を出させてもらいました。なんというか、久々に楽器に触ったせいか、妙な高揚感がありました。ぷーってやるだけで、楽しくてしょうがない。そして即受講決断したのでした。とろい私にしては、超高速決断と言ってもいい速さでした。
というわけで感慨もひとしおな私。高校生のころ音楽室でみた木製の深い色の、自分の背丈ほどもありそうな、そして水煙草みたいな管がついた、あの摩訶不思議な楽器。そして、やわらかい音。あの楽器を手に、いつかアンサンブルに加わってみたいものだなぁ、と思ってもう長いこと時間がたってしまいました。さてさて、これからあの楽器にたどり着くまでどんな経験ができるんだろう。とてもわくわくします。
自分の楽器を購入するまでの間、先生から楽器を貸してもらうことになり、いま手元には2本樹脂製の楽器があります。しかし購入となると、どうしたらよいものやら。せっかくだから木製がいいんだけど、地元の大きな楽器屋さんにも置いてないようでした。先生情報だと、東京や大阪までお出かけして選んでくるのがいいようです。
うーん。旅費もふくめたら、なかなかいい出費になりそうだなーとか思ったりして。でも、これまでいくつか楽器をやってきましたが、初めて自分で購入することになるわけで、ここはひとつ、お気に入りのものを見つけて相棒にしたいものです。